2016年11月19日土曜日

お菓子作りのきっかけは?



「お菓子作りのきっかけは?」



実は自分でもよく分からない。



高校生のときに初めて
チョコレートのケーキを焼いたのだけれど、
それはもう見事なまでに、”カッチカチやデー!!”
と、ザブングルが飛び出してきそうな出来だった。

父に、けちょんけちょんに言われ、
二度と作るものか!
と心で叫んだ記憶がある。


それなのに、
今じゃすっかり、お菓子作りの魅力にはまっている。






 北海道産よつ葉バターと、奄美諸島産さとうきび糖を
白っぽくふんわりするまで泡立てる。

 

なるべく日本のものを。
なるべく大地に優しく育てられたものを。

そんな素材を選んでいる。
つもり。




北海道産小麦と、米国にて有機農法で栽培されたアーモンド
のパウダーを加え、さっくり優しく混ぜ合わせる。



そして、
できたらその土地のものを。

さらには、
自分や知人が自給したものを。

できるだけ地球に負担をかけず、
できるだけエネルギーは使わず、
できるだけ外から持ち込まず、
できるだけその土地で循環する暮らしを。

 
そんな夢を抱きながら焼いている。




 

 粉とバターが少しずつ馴染んでいく。
その変化を見るのが好き。
粉の種類の違いはもちろん、季節(気温)によっても混ざり方は異なるし、
混ぜ方、混ぜ具合によっても、完成する味は変わってくる。
まさに「お菓子な科学」なのだ。

 

 父が他界して、もうすぐで2年になる。
もう2年。まだ2年。もう?まだ?どっちつかずな感覚。


この家がイヤで、
両親から離れたくて、家を出た14年前。
 大阪での暮らしが息苦しくて、大阪を出た8年前。

もう戻ることはないだろう。
そう思っていたのに、気づけば実家暮らし2年目である。


 



混ぜ終わり、も大切なポイント。
何度も何度も作ることで、自分の「ここだっ!」を決める。




 母との暮らしは、
わたしにとても大切なことを教えてくれた。

十代の頃に見ていた両親の姿は何だったのだろう?
それぐらいまでに、今は違う人のように感じる。
母の深い愛を感じる。


「ある場所で暮らしたいんだ」
先日、母に思っていることを伝えた。

「死に目には合われへんと思いや」 
母はこう言い、あなたの好きなように、と。

この言葉の意味も、重みも、
今ならよく分かる。



わたしは、この家に母を1人残しいけるだろうか。







手早く丁寧にラップにまとめ、冷蔵庫へ。
粉とバターがお互いにしっかり手を取り、美味しいクッキーへと生まれ変わる。




母はとても強い人だと思う。
弱音なんて聞いたことがないほどに。
でもね、ひとりこっそり泣いている姿を知っているから。

これから先の人生を、
1人で生きる寂しさ、怖さ、哀しさ、
母の不安と覚悟が痛いほどに伝わってくるから。



それでもわたしは自分の道を進むだろう。
母が己の道を歩いてきたように、
わたしも我を通して、己の道を。






大阪南河内産の青レモンをたっぷり練りこんだ、
爽やかレモンクッキーさん。





 人生とは何なのだろうか?


きっと最期にならないと答えは出ないだろう。
そもそも、
答えなんてないかもしれないし、
見つからないかもしれない。


でもね、
父の最期は穏やかな笑顔だったんだ。


それが何を意味しているかは、
受け取り方次第ではあるけれど、
”死が誕生によって始まる”
というこの意味を、なんとなく、
ふんわりとだけれど、理解できたような気がする。







180℃のオーブンで一気に焼きあげる。
 ザクザク・サクサク・カリカリ・ガッチガチ…
こうして作り手によって異なる、個性あるクッキーが出来上がるのだ。




「 短い一生で心魅かれることに多くは出合わない。
もし見つけたら大切に、大切に・・・。 」

大好きな星野道夫さんの言葉。



自分の意志も、
家族も、周りの大切な人も、
大地に暮らす様々な命あるものも、
この地球も、

目に見えるものも、見えないものも。

大切にしたい。

矛盾と向き合いながら、自分のできる範囲で、
境界線を引きながら、
ひとつひとつ行動していけたら、と思う。




なんだか感情のままに書き連ねてきたけれど、
お菓子を作り始めたきっかけも、
作り続けている理由も、
”あっ”と心魅かれたからなんだろう。
 それが、好き ということなんだろう。




2016.11.19(sat)記録



 
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